生から死までの哀愁はノスタルジー

それでも生きていかなくちゃ

ふがいないわたしも空をみた

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

 

了読。物語に入り込んですらすらと読んでしまった。泣かなかったけど、切なかった。

 

物語の当事者のふがいない斉藤くんもアンズも、アンズの旦那さんも、松永さんも松永さんのお兄ちゃんも、福田くんもアクツちゃんも田岡さんも、斉藤くんのお母さんも、きっと誰も悪くなんかなくて、人生、思い通りになんて誰もいかないし、それでもこの世に生まれ落ちた自分という人間に与えられた場所で苦しくてもふがいなくても貧乏でも自分が望んでもいないオプションをつけられて生まれてたとしても、それが「自分」で、自分に与えられた環境に負けそうになっても、自分の弱さにおぼれて誰かの人生を大きく変えてしまっても、自分のふがいなさに泣きじゃくって自分の殻に閉じこもってしまっても、そうやってめちゃめちゃぐちゃぐちゃになりながらも、それでも「生きていく」ことが「生きる」ことなのかなって。おもった。

 

自分の人生なんて自分が頑張れば環境や生活なんていくらでもいい方に変えられるなんて、そういう安っぽい励ましは一切なくて、どれだけ頑張っても夢があっても変えられないことや報われないことってやっぱりあるんだなって。田岡さん・・・。でも福田くんもアクツちゃんも、あの団地を出ていける気がした。

 

自分の人生が「幸せだ」とか「不幸だ」とかそういうことではなく、ただただすごくもどかしい気持ちになって、明日も生きて働きたくないけど働かなきゃいけないふがいないわたしも、やっぱり空を見上げてしまった。