生から死までの哀愁はノスタルジー

それでも生きていかなくちゃ

ぜんぜん優しくない

 

 

今日は疲れた。ひどく疲れた。帰りのバスの中で、なんだか無償に泣きたくなったんだけど、涙がこれっぽっちもでてこなくてもどかしかった。泣きたかったのに。

疲れてるときはいつも以上に余裕がなくなるから、人に優しくするのが難しくなる。

 

こんなわたしの薄っぺらな愛でも取り繕ったニセモノの優しさでも、しっぽを振って寄ってきてもっとちょうだいちょうだいって、欲しがる人が時々いる。

世の中には愛とか優しさに飢えてる人がたくさんいて、寂しくて、愛されたくて、優しくされたくて仕方がないんだとおもう。わたしの愛とか優しさなんかで何が満たされるのかよくわかんないけど。

 

斉藤和義の月光という歌があって2番の歌詞に『愛されたいと願う人で どこも順番待ち』っていう歌詞があるんだけど、ほんとにその通りで、ほんとはきっと、その人もわたしの愛じゃなくてもいいはずなんだけど、どこにいても愛を感じられないから、わたしのニセモノの優しさでさえも欲してしまうんだと勝手に解釈してる。

 

 

騙してるわけじゃないけど、ほんとはぜんぜん優しくないのに、好かれてしまうのは、困る。

 

ぜんぜん優しくないよ。わたし。

ニコニコしながら話しかけられて、それにわたしもニコニコしながら答えられるけど、心の中じゃ「うるせえな~~~」って思っちゃってるのがほんとのわたしだよ。お腹の中真っ黒だよ。暗黒だよ。

 

優しくなりたいけど、優しいのはいつも表面だけ。いつも優しくなりきれない。

人に悪くみられるのが怖くて、自分のダメな部分を隠したくて、必要以上に表っ面をよくしてしまうのがいつの間にか癖になってた。優しくもないくせに人に優しくするのも癖になって、楽しくもないのに適当にニコニコするし、笑いたくもないのに適当に笑う。ダメな部分を抑え込みながらこういうことするのって、すっごく疲れる。それで時々、あーあーって爆発しそうになる。

 

 

表面上でそういうことをしてると第一印象はわりと良く見えるらしく、居酒屋のバイトをしてたときも何人かの人に告白されたりした。

でもそれって、お客さんだから話したくもないのに話しかけられたからしょうがなく話してただけで、お客さんだからしょうもない下ネタにも笑いながら付き合ってただけなのに、連絡先聞かれたり、ごはんいこうって誘われたり、仕事終わりの帰り道に待ち伏せされたりされたこともあったけど、お店から一歩外でたら仕事じゃないし別にニコニコする義理なんてないから「好きなんだけど」って言われたときは「わたしは××さんが思ってるようないい人じゃないですよ。優しくてニコニコしてる子が好きなら違う子探してください」っていってやった。その人ぽかーんてしてた。

 

優しくされたから好きになるとか、そういう安っぽい「好き」ってすごいバカっぽい。

わたしはわたしのことなんて視界にすら全く入ってなくて、やっと視線にとまっても、わたしのそういうダメなところも一瞬で見抜いてしまうような頭のいい人が好きだから(クロロ団長とかたぶんそういうタイプ)、わたしの表面上のことしか見れないひとは「頭わるいな~~お前」ってなる。

 

自分ダメなところはしんでも隠して生きていきたい。そうしてじゃないともう人と普通に接せない。だけど、誰かに見抜いてほしいともおもってる。矛盾してるけど。

 

愛されたいと願う人でどこも順番待ちだけど、きっと誰かから心から愛される日がたぶんやってくるんだから、わたしなんかで妥協するなよっておもう。わたしがいなくたってみんな何の問題もなく生きていてるんだから。

 

 

どうでもいいんだけどラインのID消した。

人生もIDみたいに嫌になったら削除して、何回も新しくやり直せたらいいのになぁ、なんてな。