生から死までの哀愁はノスタルジー

それでも生きていかなくちゃ

わたしたちは何に敗北したのか

 

 

今日は部屋の大掃除をしてまして、それがまぁ案の定終わってなくてですね、部屋がいつもに増してごちゃごちゃとしているのですが、

 

 

 

 

この作業BGMをかけてひたすら掃除してたんですよね。

 

で、聴きながら何を思ったかというと、わたしたちは確かにあの頃と比べて年を重ねて大人になった。だけど、わたしはあの頃自分がふんわりと思い描いていた『大人』にはなれなかった。

『大人』になれば勉強しなくていいし、学校行かなくていいし、お金だって自分の好きなように使えて、なにもしなくても、そういうある程度まともな『大人』になれるものだとおもってた。

 

少しずつ大人に近づいていったとき、大人の汚さとか、ズルさとか、そういうものがちょっとずつ見えるようになって、自分の周りにいる大人たちを見まわしてなんとなく「大人になりたくない」とおもった。

 ことあるごとに「ゆとり」だと大人たちは馬鹿にしたり見下したりする。もう慣れたけどそういうことをいわれて何も感じないほどわたしはきっとアホじゃない。そんでそんな大人たちを尊敬するほど愚かでもない。

こういう世代をつくったのは大人たちなのに。なのにそれをまるでわたしたちだけの所為みたいに語る。わたしたちを見下して、自分たちを誇る。そういうのがしぬほどダサいっていつもおもってる。

 

そういう時代に生まれて、そういう大人に育てられて、わたしたちはここまで育った。大人のみなさん、わたしたちはそんなに『失敗作』でしょうか。

 

そんなわたしも年齢的には立派な大人になって、だけどまだ心はぜんぜん大人になれなくて、自分がこんなに毎日仕事したくないって思いながら生きてる大人になるなんて微塵も想像してなかった。

子どものころ見ていた夢はもうみれないし、あの頃みたいに無邪気にも生きていけない。

 

人の顔色なんか気にしないで、思ったことをことばにして、態度にして、それでクソほど怒られたけど、懲りずに何回も同じことをして、けど、何回失敗しても許せてもらえた。

今は、思ったことなんて9割もことばにも態度にもできなくて、人の顔色ばかりをうかがって、ミスをしないように神経をキリキリさせながら毎日生きてるけど、そこにはほんとうの自分なんてこれっぽっちもいなくて。

 

 

わたしは一体いつ、何に負けたんだろう。

 

大人?社会?時代?それとも自分?

 

 

 


【歌詞付】Butter-Fly/和田光司【デジモンアドベンチャーOP】 - YouTube

 

 


カサブタ 高音質 - YouTube

 

 


memories/歌詞入 - YouTube

 

 

まだ負けてないのかなっておもえた。

まだ飛べるかな。まだ大人になりきれなくてもいいのかな。いまからでもひとつなぎの大秘宝を探す旅に出ても間に合うのかな。

 

そんなふうにおもえた懐かしのアニソンたちに感謝したい。