生から死までの哀愁はノスタルジー

それでも生きていかなくちゃ

拝啓 偉大なる劣等感様

 

 

 

今日はひさびさにリアリティのある夢をみた。

夢なのに色も音も鮮明にあって、夢なのに現実だと間違えてしまうくらい何もかもが立体的で現実味のある夢だった。

 

大学に通っていたころ、同じグループで行動していた子たちといろいろ話してる夢。

大学生ではなく、みんなあれからちゃんと年と重ねていて24歳だった。

 

大学2年の二十歳のとき、大学を辞めた。理由はいろいろあった。一人暮らしをしていて、一人暮らしのアパートにも、大学にも楽しみや居場所をみつけられなかったっていうのも理由のひとつ。だけどそれだけが大学を辞める理由じゃなかった。

何が原因だったのか、いまだにわからないのだけれど、大学一年の夏頃から夜になると全く眠れなくなった。0時にベッドにもぐりこんで、1時間経っても2時間経っても眠れなかった。気づいたら深夜4時くらいまで意識がハッキリとあって、あと2時間半後には起きて大学に行かないといけないのに、って考えると不安で不安で涙が止まらなかった。眠れない夜は毎日泣いていた。

はじめの頃はそれでも頑張って大学に通っていた。だけど、眠れない日々は思った以上に長く続いて、大学に少しずつ行かなくなった。

はじめは、どんなに寝れなくても6時半にはちゃんと起きてふらふらしながら支度もした。化粧もして髪の毛もセットして服も着て、あとは家をでるだけってなると、なんとなく大学に行きたくなくなってそのままベッドに倒れ込んでお昼まで寝続けたりした。なんとか家をでて電車に乗っても、通学の途中で家に引き返したりとか、そういう訳の分からない行動をとるようになってからいろんなことがうまくいかなくなった。

 

どうしてこんなにも眠れないのか、自分でも理解できなくて、はじめはすごく混乱した。眠り方を完全に忘れてしまって、「寝なきゃ」と思えば思うほど目と頭はギラギラと冴えていくかんじがすごく怖かった。

 

わたしはそのときまだ18歳(19歳だったかも。あやふや)で、離れて住んでる親には自分がいまこういう状況だってことがどうしてもいえなくて、大学もちゃんと楽しくふつうに通えてるって嘘をついてた。思えばこのころからわたしの虚言癖はひどくなっていったのかもしれない。

 

大学の友達はわたしが大学にこないのは単に怠けてるからだと思っていた。はじめの頃は講義にでてないと「きょうどうしたの?大丈夫?」ってメールがきたりした。大学に週に2、3回くらいしか行かないようになるとメールはもちろんこなくなったし、久々に顔をだすと「さいきんサボりすぎ!単位落とすよ」っていわれるくらいだった。

 

 一回だけ、自分のいまの状況を伝えようとしたときがあった。

意を決して「最近さ、夜寝れないから朝起きれないんだよね」っていったら「だったらその分早く寝ればいいじゃん!わたしの方がまななかちゃんより通学時間長いんだから起きる時間だってその分早いんだよ!わたしだって眠いよ!そんなの!でも毎日大学きてるよ!」ってお叱りいただいた。

わたしの言いたかったことって、そういうことじゃなかったのに・・・。って思ったけど、それ以上なんにも言えなかった。

 

大学2年の夏、これ以上寝れない毎日が続いたらほんとにしぬとおもった。ネットでいろいろ調べたら『睡眠障害』っていう病気があることをしった。不眠症っていうのは聞いたことがあったけど、眠れない病気ってあるんだとおもうと少し安心して、そのあとすぐにこわくなった。それからまたいろんなサイトをみて、もう何か月も眠れない日が続くひとは心療内科に行った方がいいってどこのサイトにも書いてあった。病院は嫌いだから極力行きたくなかったけど、ほんと嫌とかそんなこと言ってる場合じゃなかったから、とにかく病院を探した。

 

診療内科で予約して、初診でカウンセリングを受けて睡眠薬を処方してもらった。薬も嫌いだったけど、夜寝るまえに飲んで10分くらいすると頭がすごいクラクラしてきて意識がブツっと途絶えた。気づいたら朝で、睡眠薬すげえってなった。

 

1週間に一度、診察を受けて薬を処方してもらうようになった。

先生は優しい男のおじさんでわたしにいつも「眠れなくなった原因はなんだとおもう?」って聞いた。わたしはいつも「わかりません」と答えた。ほんとにわからなかったから、そう答えるしかなかった。

 

薬を飲んで眠れる日はよかった。だけど、薬を飲んでも眠れない日は最悪だった。「どうして薬を飲んでも寝れないの」とまた一人でえんえんと泣いた。その次にきたのは睡眠薬の副作用で、精神が憂鬱になったり不安定になったりしてただ毎日ずっと悲しかった。電車に乗るのがこわくなったり、人ごみの中にいると目が回ってくらくらしたり、急に泣き出したりして、わたし史上メンヘラ絶頂期。だけどどうすることもできなかった。

 

友達にも親にも誰にも相談できなかった結果、忘れもしない12月5日。大学2年生の冬、わたしは大学を辞める決断を下した。大学の友達には誰にも辞めると伝えなかった。期末試験に出席すらしなかったとき、さすがに何件かメールがきたけど、誰にも返さなかった。そのまま音信不通。もう4年くらい誰とも連絡をとっていない。

 

だからわたしの中で、大学の友達ってみんな二十歳のときのまま。某フェイスブックとかいうSNS(ソーシャルネットストーキングサービス)が流行り出したとき、わたしは偽名でアカウントをつくり大学の頃の知り合いをかたっぱしから探し出した。

海外留学にいって、卒業旅行いって、袴着て卒業して、就職難って聞いてたしクソみたいなFラン大学だったけど、みんなわりとふつうに就職してた。

 

あたりまえだけど、わたしがいなくてもみんなふつうに大学生活を送ってた。

あたりまえに大学に通って、単位とって、ゼミ入って、卒論書いて、卒業して、就職してっていう、わたしはこういうみんながあたりまえにしていたことを何一つちゃんとできなかった。それが自分の中に今でも強く残ってる劣等感。

 

あんな受験すればアホでもDQNでもだれでも合格できるような、ほんとにうんこでも単位とってれば卒業できるようなスーパーSランク級のFラン大学すらまともに通えなかった自分はうんこ以下だっていまでもおもう。あのとき、うんこが大学に行って、わたしがトイレに流れればよかったんだ。

 

大学を辞めても眠れない日々は長く続いた。睡眠薬は結局22歳くらいまで飲み続けてたとおもう。飲み続ければ続けるほど、弱い睡眠薬は効かなくなって、だんだん強い睡眠薬を処方されるようになった。

睡眠薬を飲み続けるわたしに向かっておかあさんが「あんた治す気ある?あんたがそんなだから病気も治らないんだよ!!!」ってすごく怒ったことがあった。

眠れないのってわたしがいけないの?って言い返したくなった。でも、おかあさんも泣いてたから言えなかった。その日以来、睡眠薬は飲んでない。

 

夜眠れないのが、どれだけ辛くて、どれだけ孤独で、どれだけ悲しいことか、布団に入って3秒もしないうちに寝れるおかあさんには一生理解できないとおもったし、大学の友達もそうだったんだろうなっていまはおもう。

 

でもわたしはやっぱり、理解してほしかった。「大丈夫?」とか、そういう安っぽい同情ではなく、「それは甘えだ」って否定されても構わなかった、だけどそれがいまのわたしだって理解されたかった。誰かに。

 

でも、言葉にしてはいえなかった。だから、気づいてほしかった。

言葉にして発しない想いなんて、誰にも気づいてはもらえないのだけれど。だからたぶん誰も悪くなくて、言葉にして伝えられなかった自分が弱くて、その弱さが悪かったんだとおもう。

 

この劣等感がいつまでもわたしを蝕み続けて、いつか消えてしまいそう。

夢の中でわたしは笑ってたけど、目が覚めるとすごく悲しくて、また劣等感に襲われた。

 

 

いまはおかげ様でよく眠れるようになった。

でも睡眠をコントロールするのは相変わらず苦手で、いまは仕事中に異常な眠気に襲われてそれはそれでとても大変。「眠いなぁ」っておもうんじゃなくて、常にうとうとしてる感じ。

 

夢をみないほど熟睡することもあるけど、まるで現実みたいな夢を見て、頭がずっと働いてて寝た気が全くしないときもある。昔に比べたら眠れるだけしあわせ。それに

尽きる。

 

夢にはいろんな人がでてくる。

大学の友達とか、高校のころに好きだった男の子とか、3年前に死んじゃったおじいちゃんとか、そういう懐かしい人がでてくる夢ってたいがい鮮明に覚えてる。

みんな笑ってるからしあわせな夢。わたしも笑ってるからわたしも夢の中でしあわせなんだとおもう。