生から死までの哀愁はノスタルジー

それでも生きていかなくちゃ

腐っても豆腐

ああ自分はこの人に好かれてないなぁ、っていうのがすぐわかる。きっとそういうものを瞬時にキャッチすることのできるセンサー的なものがわたしの頭の上にぴょこぴょことしているのだとおもう。

 

特に主婦の方。露骨である。

わたしが入る半年間くらいの間はオーナーさんが一人で全部授業みてたらしい。アシスタントを雇っても若い子はあまり長続きしなくてすぐ辞めてしまうんだよ、と長く通ってる生徒さんが教えてくれた。そのオーナーさんは30代後半で妻子持ちだけど、童顔でとても30代後半にはみえないから、主婦の方にモテる。

オーナー先生(以下オナ先生)に教えてもらってるとき、まるで少女のように可憐にふるまう方もいる。だけどわたしが行くと「・・・お前かよ」みたいな顔されることもある。別にそれくらいじゃ全然凹まないけど、女っていくつになっても女なんだなぁとおもう。

 

逆にわたしはおじいちゃんおばあちゃん層の方から優しくしてもらってる。

お年寄りだから習ってる内容も簡単。教えるのも楽。だけどお年寄りだから一度やり方を教えても10分後にはもうすっかり忘れちゃってたりするから同じことを何回も何回も教えないといけない。だけどわたしはそれが苦ではないから、何回でも嫌な顔せず教えてあげられる。

一度教えてもらってもそれをできない人の気持ちというのがわたしには痛いほど理解できるのだから、学生時代、伊達に長いあいだ劣等生としてまわりに馬鹿にされつづけてきた甲斐が多少はあるというものである。先生、お母さん、ありがとう。

 

 

今日も「『大阪』と変換できない」といわれその方はずっと『おうさか』と打って変換していた。

 

「『おうさか』じゃなくて『おおさか』ですよ」というと

「あ~~~ほんとだ。変換できた。」とにっこりした。

 

お年寄り相手だと質問の3割がこういう感じ。まじで。

 

「『噴水』ってなんて読むの」

「『ふんすい』ですよ」

とか。まずテキストの文字が読めなかったりする。タイピング以前の問題。

 

でも「すぐ忘れちゃうの。だから何回も同じこと聞いてごめんね。ありがとうね」とかたまに言われる。ありがとうって魔法のことばだとおもう。

 

 

でもとある主婦の方の場合。質問されて「これはこういう風にしてこうですよ」と教えても「えー、ほんとですか?」と言ってその方はまずわたしのいうことを信じてくれない。「でもこのやり方でできるんで。。」と返してもあからさまに腑に落ちないような顔をされるので参ってしまう。

わたしのいうことに納得してくれないのでオナ先生を呼んだ。オナ先生もわたしと全く同じやり方をその主婦の方に教えた。そしたら「へぇ。そうなんですかぁ~わたし、こんなやり方しらなかったなぁ~」といってまた少女のように可憐に笑った。

そのときはさすがになんか泣きたくなった、けど、しょうがないのかなとおもう。

そうなってしまうのは性別の違いだけではなくて、わたしとオナ先生の知識の差とかそういういろいろなことも関係していることはわかってる。

 

だし、もちろんだけど主婦の方が全員そういう態度をとるわけではない。わたしにもオナ先生にも同じ態度で接してくれる方の方が多い・・・は良く言い過ぎた。半々くらいかな。うん。半々。

 

だからそういうとき、わたしはお得意の愛想笑いでへらへらしてるしかないのです。

愛想笑いだけが化粧のようにぺったりと張り付いてしまった。